中小・ベンチャー企業とともに成長する喜びこそが原動力——ソウルドアウトはいかにして生まれたか

Webマーケティングを軸に中小・ベンチャー企業の支援をするソウルドアウト株式会社。2009年、株式会社オプトから分社化するかたちで創業しました。「ともに覚悟する。ともに挑む」というスローガンと「ソウルドアウト」という社名にこめられた熱い想いとは?創業者であり代表取締役社長を務める荻原猛の原体験からひもときます。

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社長になる夢とコミュニケーション力を育んだ10歳の頃の原体験

「まわりのすべてが変わり、衝撃を受けた」と創業者・代表取締役社長の荻原猛がいうのは10歳の頃の体験です。

それまで裕福な家庭に育ち、何不自由なく暮らしてきた荻原ですが、父の事業が失敗。生活は一変し、荻原一家は東京を離れることになります。

荻原 「天と地がひっくり返ったようでした。かなりショックを受けましたね。借金の取り立ても家に来ましたし、周りの人の態度が180度変わるのも見てしまって…。その頃から、人が本心では何を思っているのか、ばかりを気にするようになりました。一方で、友だちにはボロボロな生活を見せたくないと、そんな素振りは見せず強がって……。いつも心のなかは複雑でしたね」

こうした人間関係のなかで、その場その場でどのようなコミュニケーションをとるのが最適か。荻原の人間観察力や洞察力は自然と磨かれていきます。そして「複雑」なのは、父への想いも同じでした。

荻原 「父のことは尊敬していたので、自分が“父の仇をうつ!社長になる!”といっていたときもありました。」

それでも荻原は「大学ぐらいはいけ」という父の言葉に、経営者の夢を思い出し東京の大学へ進みます。 “東京での生活”という自由を得た一方、荻原はアルバイトをして生計を立てる日々を送ります。

荻原 「親からは自立したかったので、生活費などのお金はすべて自分でアルバイトして稼いでいましたね」

そのころ、いくつか体験した営業のアルバイトで荻原は頭角をあらわしはじめます。その優秀な営業成績に目をかけてくれた、アルバイト先の上司に、卒業後大阪で起業しないかと誘われるほどでした。

もともと荻原自身は、経営者への夢を実現するために、卒業後、不動産業界に進路を決めていました。売上をつくりだす営業力は、売る商品の単価が高い不動産業界でこそ身につくと考えたからです。アルバイト時代から営業力にたけた荻原は就活のために宅建の資格を取得し、受けた会社の多くから内定を獲得。

それにもかかわらず、荻原はそれらの会社をすべて辞退。卒業後に起業する会社に加わり、大阪で働きはじめる道を選びます。

荻原 「“商売は大阪”。そう考えていたから、大阪で基本を学びたかったんです」

起業した会社の事業は、店舗で使う器具やマネキン、トルソーの販売や店舗のデザイン。まったくの新天地、大阪で、まったくの新しい事業。そうして、会社を経営するという荻原の夢が叶うときがやってきました。

自分は“終わった人間”——オプト鉢嶺氏と出会い、その言葉に心を救われる

大阪で学んだのは、お金の大切さや信頼関係の築き方など、商売をするための大原則でした。荻原の営業先は商社です。取引がはじまるか否かは、「安ければ買う」という単純なものではなく、まず信頼関係を築けているかどうかにかかっていました。

荻原 「お客さまのところに何度も足を運びました。イベントがあれば無料でお手伝いにも行くし、会えるならどこにでも行く。最初の壁は高いけれど、いったん信頼してもらうと大阪のひとはやさしいですよ。長いおつきあいがはじまる。大阪の商売はみんなそう。大変だったけれど楽しかったです」

荻原が、大阪の地で身につけたのは、まさに足で稼ぐという働き方。だから、その言葉どおり一日中働いていました。

一方で自社サイトも立ち上げ、ネット販売も実施。とはいえ1998年頃の日本では、まだまだネットショッピングは主流ではなく、インフラも確立されていません。自社サイトからの受注は、数ヶ月に1回の割合でした。ただ荻原は、そこに“ある種の面白さ”を感じはじめます。

荻原 「営業の場合はロット販売のため、売れた場合の額は大きいけれど、商品1点あたりの利益率は低くなります。ネットからの発注は、たった1点のマネキンでも定価で売れるのだから利益率は高いと。こういう売れ方もあるんだなと興味深く思っていたんです」

その後も荻原は、地元商社と信頼関係を築き、着実に商品を売っていくーー。しかし、それでも会社は楽にならず、“経営”の難しさを思い知らされることになりました。

荻原 「売れてはいるけれど、事務所の家賃や光熱費など固定費にどんどん消えていく。自分の給料が出るところまで売上をあげていくのは、なかなか難しいんです。いま思うと、ターゲットの分析やニーズの組み立て方が未熟だったのかもしれません……」

起業から約3年、荻原は会社を離れ、失意のなか東京へ戻ります。

荻原「父の事業が失敗して実家に戻ったときと同じ状態になったなぁと感じていました。26歳で、もう自分の人生は終わったなと。……なんともいえない気持ちでしたね」

そのような苦節の日々を過ごしていたある日、ひとつのニュースに荻原はくぎ付けになります。

自分と同じ若干26歳(※当時)の若き経営者が、史上最年少で東証マザーズ上場を果たしたというニュースです。それが、株式会社サイバーエージェントの藤田晋氏でした。

荻原「衝撃でした。同じ年齢でこんなに違うのかと。調べたらインターネット広告の会社でした。それで思い出したんです。大阪時代にネットでマネキンが売れていたことを。ああ、あれか!って」

復活へ向けて、荻原は動き出します。インターネット広告業界の企業を狙っては、就職活動を続ける日々。そのなかには、思いがけない出会いがありました。それがほかでもない、株式会社オプトの社長・鉢嶺登氏(現株式会社オプトホールディング 代表取締役社長 グループCEO)だったのです。

就職先である会社を「のんでやろう」というくらいの気概で、「自分は起業が好きであること、失敗体験もあること」すべてを隠さず話しました。すると鉢嶺氏からこんなひとことが飛び出しました。

———「本当にあなたのような人材が入社してくれるんですか?」

その言葉は、荻原の胸に刺さります。

荻原 「いったい僕のどこをみていったのか、不思議でしたね(笑)。でも、本当は感動していました。自分のような“終わった人間”を拾ってくれるひとがいるんだって。そして、このひとのために頑張りたいーー。そんな特別な感情が芽生えた瞬間でした」

当時、他の会社の面接も受けていましたが、この言葉ひとつでオプトへの入社を決断しました。

荻原 「実は、給与だけでみるとオプトは他の内定をもらった会社のなかではいちばん安かった(笑)。でも、大切なのは年収じゃなかったんですね。面接で真剣に話した自分を理解してくれた。それが入社動機だったから」

この出会いこそが、のちのソウルドアウト創業の最初の一歩になることは、そのときの荻原は、まだ気づいていませんでした。

マネジメントの失敗と復活——社内の幸せと社外の幸せの“総和”が売上を決める

荻原が入社した2000年当時のオプトは、まだまだ若い会社でした。当時20名程度の社員規模でありながら3つも事業があったこともあり、社内は混沌。一匹狼気質な人も多かったがゆえに、衝突や退職者がつぎつぎと出たことも……。

しかしそんなオプトも、事業をWebマーケティング1本にフォーカスした途端、急成長を遂げていきました。そして新しいメンバーも入り、組織に定着しはじめます。

入社間もなく、その過程を目の当たりにした荻原は、急速に成長した理由をふたつあげます。ひとつは広告を数値化したこと。そして、もうひとつは、これからネットで新しい事業に挑戦しようとしているベンチャーや中小企業を徹底して支援したことです。

荻原 「僕らが支援していたベンチャー企業は、会社が伸びるたびに広告費が増え、さらにその広告費で会社が大きくなるというサイクルでした。勢いがありましたね。僕らもお客さまと“いっしょに”成長していく。それが楽しかったですね。いまでも忘れられません」

いまでこそインターネット広告市場は1兆円規模といわれていますが、その当時2000年頃は500〜600億円程度。国土の広いアメリカでは伸びても、日本では流行らないだろうという見方が一般的でした。

それでも荻原は「インフラが追いついていないだけ、いずれ日本にもその波がやってくる」と信じて、がむしゃらに取り組みます。そして、お客さまと“ともに成長する”というおもしろさを実感したのもこのときでした。

入社後、これまで培ってきた営業力を発揮してつぎつぎと仕事をとり活躍する荻原。社内の期待を背負い、営業のエースばかりが集まったチームを任されます。しかしこれを荻原は「大惨敗だった」といいます。

一人ひとり能力が高いからと考え、同時にいくつものプロジェクトに取り組みました。その結果、メンバーのリソースが分散され、すべてが中途半端に。結果が出ないことでメンバー同士もギクシャクしはじめ、やがてチームとしての機能を果たせなくなり大惨敗……。エースぞろいの精鋭部隊は解散に追い込まれます。

その後、再結成したチームに集まったのは、打って変わって新卒・中途採用ふくめ20代半ばの、まだまだ経験の浅いメンバー。チーム最年長の30歳の荻原は、「選択と集中」の方針に転換せざるを得ませんでした。でも、それが功を奏すことになります。

荻原 「今でこそ、みんな優秀な人材に成長しているけれど、このときは全然ダメだったので、大変でしたね。ただ全員が分からないなりに必死に仕事に向き合っていったら、どんどん成果がでるようになって楽しくなってきました。こいつらと一緒に仕事をすると面白い、刺激的だ。そう思って仕事をやっていましたね」

この体験で、チームのベクトルをあわせることの大切さを荻原は痛感します。さらにこのとき、社内で大きな変革がありました。当時オプトの役員だった海老根智仁氏が、社内に新しい風を持ち込んだのです。

———自分たちが提供するのは“モノ”ではなく“ソリューション=解決すること”である、と。

たとえば、それまでは「これだけの成果があがる広告を、今月打ち出しませんか」と単発で営業していたものを、「半年後、1年後に会社を理想の姿にするために、こういう施策をしませんか」とお客さまに提案する。もちろん、どちらもお客さまを喜ばせることに変わりはありませんが、これが当時のオプトで掲げた提案スタイルでした。

荻原 「営業力のある人材はそろっていましたが、提案力は弱かったんです。海老根さんの“ソリューション”という考え方に社内全員が心酔しましたね。みんな突然本屋に走って(笑)。学ぶ文化に変わりましたね」

再結成したチームでの成功体験、ソリューション提案という新たなビジネススタイルのふたつは、荻原に劇的な意識の変化を起こしました。

荻原 「社内の幸せと社外の幸せの総和で売上が決まる。もちろんお客さまだけが幸せで、社員が疲弊したら売上はあがらない。社員のモチベーションがあがることも重要な要素。大事なのは、社内外の“総和”なんだと」

荻原が以来、大事にしていることは3つあります。自分ができなかったことをできるようになる「成長実感」。いっしょに仕事をやりたい、面白い、刺激的だと思える「仲間」。そして、会社の成長にみあった報酬を社員が得られるという「適切な評価」——。

このときの体験が、ソウルドアウトを経営する2017年現在も、荻原の想いの根幹にあります。

根底にあったのは「中小・ベンチャー企業とともに成長したい!」という想い

やがて時は経ち2006年、荻原はオプトの執行役員となりました。ちょうどこの頃に、自身にも会社にも大きな変化が訪れます。

Webマーケティングの分野において、オプトは株式会社電通と業務提携します。

このときのオプトは、1997年にウェブマーケティング事業に進出して、まだ10年に満たない時期。お客さまは、これまで成長をともにしてきたネットに先進的に取り組んできた企業が中心でした。しかし電通との業務提携で、いわゆるナショナルクライアントと呼ばれる大企業のマーケティングに携わる機会が増えることに。

莫大な予算をもつナショナルクライアント——。大企業のプロモーションがマス広告からネット広告へシフトしたことは、オプトにとって大きな機会でした。そのための人員強化は必然であり、それにともない組織変更も行われたのです。

反対に、これまで長くおつきあいのあった中小・ベンチャー企業のお客さまに割く人員は、やむなく大幅削減されることに。取引をお断りするケースさえ出てきました。そのときの複雑な心境を荻原は忘れられません。

荻原「役員合宿でその話が出たとき、僕は思わず泣きそうになって……。もちろん経営戦略としては正しい、やむを得ない。でも、それでも、 『皆さん、忘れていませんか。僕らは、中小企業やベンチャーの皆さんがいたから大きくなれたんじゃないですか』って」

諦めきれなかった荻原はその後、中小・ベンチャー企業を担当する営業部署を発足させました。多くの中小・ベンチャー企業のお客さまを抱えながら、十数名の小さな部署……。

荻原の使命は、その部署で徹底的に売上を伸ばし、小規模予算のお客さまの部署も、会社として利益が出るという結果をみせること。とにかく成果を出すことに集中します。

実は当時、プライベート面でも大きな変化がありました。荻原は執行役員への就任をきっかけに、学生時代からつきあっていた女性にプロポーズ。自分と苦労を共にし、そばで支え続けてくれたひとと結婚します。

荻原 「ピュアな気持ちで仕事に集中できたのは、妻のおかげです」

その後、子どもも生まれ、家族の支えもあって、荻原は着実に成果を出し続け、大きな成功をおさめます。成功の要因は、「やらないことを決めてひとつにしぼること」でした。

つまり、中小・ベンチャー企業のお客さまにターゲットをしぼることで、提供するソリューションも自然としぼり込まれていきます。そこに徹底的に集中できるように、これまでやってきたことをすべて数値化して見直し、不要なものをどんどん削ぎ落としたのです。

荻原の部署が成果をあげたのは、はからずもオプトが急成長を遂げたときと同じく「1点集中」という考えでした。

こうして部署の成功が見えはじめた2009年。荻原は新たな挑戦を心に決めます。そう、すべての中小・ベンチャー企業を対象としたWebマーケティングの会社・ソウルドアウトの立ち上げをーー。

Text by PR Table(公開日:2017年6月7日)