仲間が福井に帰ったので、福井営業所を作りました。

経営・事業
2017.06.06
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【社長と対談シリーズ〜荻原と〜】第1回は、福井営業所の立ち上げを任された高村典江。前職のオプトを退職し福井に帰っていた高村に、ソウルドアウト代表、荻原からの1本の電話。地域に根ざす企業を支援するため、日本各地に営業所を開設していこうという方針はあるが、市場調査もせず「高村ならやってくれる」という想いで進めた福井マーケットの開拓。2人の出会いから、2人の信頼関係、立ち上げ当初の話を、2人に伺いました。

荻原 猛(おぎわら たけし)
代表取締役社長
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荻原 猛(おぎわら たけし)
1973年生まれ。中央大学大学院戦略経営研究科修了。経営修士(マーケティング専攻)大学卒業後、起業。2000年6月に株式会社オプトに入社。2006年4月に広告部門の執行役員に就任。2009年に当社を設立し、代表取締役社長に就任。著書に『ネットビジネス・ケースブック』(2017年 同文舘出版 田中洋共著)がある。
高村 典江(たかむら のりえ)
第二営業本部 第一営業部 部長
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高村 典江(たかむら のりえ)
第二営業本部第一営業部部長

渋谷の歩道橋で、高村が突然クレームを。

―――本日はよろしくお願いします。まずは、お二人はいつ頃から仕事をご一緒にしていたのでしょうか?

荻原:オプトにいた頃です。高村の入社が2006年。僕はその頃、広告部門の執行役員兼営業本部長をしていました。当時、高村は営業職ではなかったですね。

高村:はい。ガラケー時代のあの頃、私はモバイル部というところにいました。営業と一緒にクライアントのところに行って仕入れと販売の両方をやっていました。

荻原:当時、高村は営業と絡むことが結構頻繁にありました。そんなある時、一緒にクライアントのところに行き、その帰り道に、セルリアンタワー近くの渋谷の歩道橋の上で、突然、高村からクレームを入れられまして。「私、営業に行きたいんですけど!」って。

高村:それはクレームじゃなく、希望をお伝えしたんです(笑)。営業をやりたくてオプトに転職してきたんですが、営業に配属されなかったので。

―――前職では何やっていたんですか?

高村:使えないSEです。バグばかり見つけていました。

―――なぜ歩道橋の上だったんですか?

高村:その頃の荻原さんは営業本部長、つまり営業のトップでした。会うこともほとんどなくて、同行させてもらう機会なんて滅多にないことなので、その時は数少ないチャンスだったんです。それで図々しくも直訴したという感じでしょうか。

荻原:この話は10年くらい前の話ですけど、今でもすごく覚えています。直談判は年に1人か2人程はいましたが、クライアント訪問後の帰り道、言ってみればホッとした時間に突然差し込んできたので、鮮明に覚えているのかもしれません。たくさん人が歩いている、歩道橋のココで、みたいな(笑)

―――そういう異動願いは、出来るだけ叶えてあげようと?

荻原:はい。能力や素養、タイミングという様々な要因はありますが、「意思ある人に」というのを1番大切に考えていますから。

―――そうすると直談判という事実はとても大きいですね。

荻原:はい、大きなことです。自分で考え抜いた末に、伝えてくるわけですから、覚悟もある訳ですし、デメリットの方が少ないですよね。そしてその後、2007年に組織変更があって、私がカンパニープレジデントになったんです。その中の一つの部署(ルーム)に高村を配置しました。初めは優しいイケメン上司のところに入れたんです。その上司はスイーツも好きだし、女性とも話が合うだろうと思って。でもよくその上司にぶつかっていましたね(笑)。その頃、高村は自分がトップ営業の座を取りたいとか、大きな案件を動かして目立ちたいとか、そういう自分が主語の野心で仕事をやっていたんだと思うんですよ。なので次の組織変更の際は、厳しい上司の下に付けたんです。

高村:なかなか厳しい上司と巡り会いました。今でもお付き合いさせていただいていますが、厳しかったです。

荻原:なつかしい。高村にはすごく厳しいんです(笑)

高村:他の人には同行するんですけど、私の案件には同行してくれないんです。他の人とはランチに行くけど、私とはランチに行かないんです。みんなの相談は聞くのに私の相談は聞かないとか、みんなのメールは読むのに私のメールは…

荻原:被害妄想ですね、それは(笑)。当時、あの部署は会社で最大の数字を上げていたマンモス部署だったんです。所属人数もクライアント規模もデカいから、というのもあったと思いますね。それに高村はタフで凹まないから、上司はそういうコミュニケーションをとって、高村が自分で気付けるようにっていうマネジメントの工夫をしていましたよね。それでも部内で高村が中心にグイグイ入ってきて、存在感が出てきていましたよね。高村も百人以上いる営業の中で常に10位前後まで上がってきていました。

高村、銀座に住む。

―――高村さんは電通さんへ出向されていたんですよね?その頃はどうでした?

高村:物凄く勉強になりました。1番はコンペに対する取り組み方です。私はWeb担当なんですけど、フロントに立つ営業の方々はもちろん、テレビに出てくるようなクリエイティブの人たちと、テレビのプランニングをして芸能人を使って、というところに入って。私は今まで携わったことがなかったので、大きなキャンペーンのコンペを上流から下流まで見ることができたのは、本当にいい経験でした。

―――その頃、荻原さんと高村さんは交流あったんですか?

高村:ないですね。2009年から2011年の7月まで電通にいたんですが、その期間は音信不通でした。

荻原:高村が銀座に住んで、毎日飲みに連れて行ってもらっているという話は僕の耳に届いていました(笑)。

高村:ちゃんとした人脈作りです。

―――銀座にお住まいだったんですか?

高村:その時、どんなお客さんとでもたった一言で仲良くなれたんです。「私、銀座に住んでいるんですよ」これを言うと、みなさん興味を持ってくれて、どんな堅い人でもそこで何かしらの会話に発展するので、営業にとってはとても貴重なネタでした。だからなかなか引っ越せなかったです。

荻原:そういう噂だけが聞こえてきていました。

高村:人脈作りですよ。

―――電通出向の後、オプトに戻ってきたんですか?

高村、オプト辞めたってよ。

荻原:高村がオプトを辞めて福井に帰ったらしいって、ソウルドアウトでもザワついたんです。と言いますか、僕が一人でざわついていたのかも知れませんが(笑)。事あるごとに社内のいろんな人に「高村が福井に帰ったらしいぞ!」と言っていたら、「福井県って、ウチの営業所ないっすよね」っていう会話が社内で出るようになってきたんです。ウチは日本全国各地に営業所を作ろうとしているので。「福井営業所を高村に手伝ってもらいたいよね」っていう会話もされるようになって来て。まあ、僕が言っていたんですけど(笑)

―――それは、すでに高村さんに福井営業所の立ち上げを任せようと?

荻原:高村が福井に帰ったというのを聞いて、すぐにピンときたんです。デジタルに精通していて、電通さんで新たな仕事のやり方も覚えてきた。高村は福井に行くのであればマーケティング領域で引く手数多なんじゃないかって。

―――荻原さんが、福井営業所を作ろう、という空気を作っていったんですね。積極的に周りをざわつかせて。つまり、事を起こしたと。

荻原:はい、そうですね(笑)起こしました。急だと人は反発してしまう可能性もあるので、ちょっと空気を温めようと思っていました。だから、まず高村が福井に行ったことを周知させ、福井に営業所があってもいいかもね、ということを意識するようになっていき、その後にようやく言いたいことを言う。「高村が福井に帰ったから、福井営業所を作るか!」って。するとメンバーからは「はいはい、荻原さんは福井営業所が作りたいんでしょ」となりまして(笑)

―――福井というマーケットのことは調査したんですか?

荻原:いえ(笑)。今では考えられませんが、福井に関して市場調査は全く行いませんでした。それ以前の新潟や静岡などの営業所立ち上げではコストもかけて調査をしたんですが、福井は高村が帰る、が先でした。でも当然ですが、営業所を作っても黒字化させることは相当大変なことです。「ネットで勝負するぞ!」という素敵なクライアントと何社も取引ができるようにならないと、黒字化は夢のまた夢。それはこれまでの経験で十分理解しているんですが、でも高村のスキルがあれば、福井県の市場は小さいかもしれないけど、他の営業所よりも早いペースで黒字化が実現できるんじゃないかと思ったんです。

―――高村さんにはどのように連絡を?

荻原:最初はFacebookでした。

高村:Facebookで連絡をいただいた時は、ものすごく嬉しかったです。犬の散歩中、広い公園にいた時に連絡が来て「あー!荻原さんだ!」みたいな。公園ですぐに返事を打ったんです。失礼な書き方をしていないかなって読み返して返信しました。

荻原:で、返信があってから電話したんです。高村に電話しなきゃと思って、喫茶店を出たの覚えています。もうこの電話で彼女を口説いちゃおうと思ったんですよ。「一緒にやろうぜ。福井の営業所を立ち上げようぜ」って、その電話で言いました。

―――告白ですね、これは。

荻原:まさにそんな感じです。しかも何故かコイツは落とせるって思っていましたから(笑)。

―――荻原さんから連絡が来た時は、口説かれる予感はあったんですか?

高村:もちろんございました(笑)。

荻原:予感あったんだ!流石!勘所がいい!

高村:もちろんと言うほど、あつかましい気持ちじゃないんですが、そういうご縁があればいいなと思っていました。

荻原:本当に?!

―――「新婚さんいらっしゃい」を観ている感じです(笑)

福井営業所立ち上げ

荻原:それで福井の営業所をもう立ち上げようという話になって、あっという間に営業所が立ち上がったんです。

―――ちなみに荻原さんが福井に行かれたのはいつですか?

高村:営業所が立ち上がって2日目です。とにかく早々にきてくれました。

―――高村さんは、立ち上げてからまず何を?

高村:新潟営業所に葛谷くんっていうメンバーがいるんです。最初に一人営業所を立ち上げた人です。同じ北陸なので文化も似ているかなと思い、テレアポのやり方とか、テレアポリストの集め方とかを彼に聞いて、その通りにやりましたね。出待ちもやりましたし、テレアポしましたし、ビラ配りもしましたし。

―――オプトにいらっしゃった時のテレアポ経験は?

高村:したことがありません。既存の大きな企業の営業担当だったので、新規のお客様との仕事もやったことがありませんでした。だから福井営業所での体験は全く初めてのことばかりでした。テレアポの時のトークスクリプトも分からず、見本をその通り読んでもガチャ切りされるばかりなので、自分でシナリオを書いてという、本当にそういうところからのスタートでした。

―――初受注はいつですか?

高村:遅かったんです。3ヶ月目でようやく売上10万円が入りました。通販コスメの会社で荻原さんにも2回同行していただいたお客様です。

荻原:そうだったね。初受注の時はどんな気持ちだった?

高村:いやあ、感動しました。私、福井営業所が立ち上がる前には神社にお参りに行き、お札とか貰って来ていたんですね。商売繁盛のお供えもして。初めての発注申込書もそこにお供えしました。「ありがとうございます。これがもっと増えますように」って。とにかく売上のなかったはじめの2ヶ月は本当にキツかったですので。

荻原:はじめの頃、高村はいつも謝っていたんです。「すみません、すみません。会社に迷惑かけてすみません」って。

高村:正真正銘の赤字社員だったので。

荻原:でも、謝らなくてもいいのに、って。立ち上げなんだから当然のことなんですよ。

高村:そこからは徐々に案件も動き出してきて。5月に核となるお客さんの1社とお取引が始まったんです。

荻原:そうだね。

高村:そのときは、決裁者である部長の方と担当者の2名にプレゼンしました。お恥ずかしい話ですが震えました。前日にその方々と会食もして、万全の体制で臨んだのですが、「この会社さんとお付き合いさせてもらえたらいいな」という気持ちと「これを落としたら、またテレアポとビラ配りの日々に戻ってしまう」という恐怖が入り交じり(笑)。本当に緊張してしまって、プレゼン冒頭の声が裏返りました(笑)

荻原:高村にもそういうことが…

高村:ありました。お客様も笑っていました、「大丈夫?」って。でも、オプトにいた時は既存の会社を担当していたので、営業成績ゼロとか一度も経験したことがなかったんです。新規を受注するという重みを初めて知りました。

西日本の幹部、福井に全員集合。

荻原:その会社は福井ですごくユニークなベンチャー企業なんです。ビジネスモデルも、ネットの相性も、社長のリーダーシップも。私たちは、これからどんどん成長されてく企業だよね、と認識していました。そのお客さんのところに、ウチの西日本の幹部を全員福井に集合させてプレゼンしたことがあるんです。

高村:福井営業所にみなさん来ていただきました。

―――一世一代の大勝負という感じですね。

高村:はい。先ほどの声が裏返ってプレゼンをした仕事の後、大きなお仕事のチャンスを頂きまして。営業所を立ち上げて半年を過ぎた頃です。でも、予期せぬことにそれが他の代理店とのコンペになってしまったんです。ここは落とすことはできないと、また悩みました。私の上長が名古屋営業所の中西さん。「鬼の中西」と言われる鬼部長なんですが、プレゼンまで相当議論をしながら準備をして、当日は荻原さんたちにも来てもらって、ビシっと一列に並んだんです。

―――何人でプレゼンに臨んだのですか?

高村:東京から荻原さん、大阪から榎本さん、名古屋から中西さん、ジャンボ、そして私の5人です。ウチと組んでもらった方が絶対いいのに、という想いと、ウチも御社と絶対仕事がしたい、という想いが重なって、この時も震えました。そういう時に限って、コピー機が壊れたりするんですが(笑)。

荻原:それは覚えている。あの日の熱気は凄かったです。

―――熱気が凄かった?

荻原:私はその日に東京に帰らなければならなかったんですが、プレゼンの後、皆でビール飲んで焼き鳥を食べて反省会をして、一旦オフィスに戻ったんです。そしたら突然電話が掛かってきて、電話を切った高村が「勝ちました!」って。オフィスに戻って来た瞬間に勝利が告げられました(笑)。5人でドッカーンです。「勝った!勝った!!ウオー!!」って。みんなで凄く大きな声を出しました。そこからはもう宴会でしたね(笑)。

―――宴会で盛り上がって、その日に帰るはずだった荻原さんは泊まったんですか?

荻原:いえ、私は後ろ髪をひかれつつも帰りました。次の日も大切な予定があったので。

高村:当初は全員その日に帰る予定でしたが、結局荻原さん以外はみんな泊まりました。酔っ払ってしまって(笑)

荻原:私は意思が強いですから(笑)。

高村:7月31日、忘れられない日です。

荻原:これで採算分岐点を超えて、設立からたった7ヶ月で黒字になりました。

1年経って、人件費を払えれば御の字なんです。

―――荻原さんはどのくらいのスパンで福井営業所を見ていたんですか?

荻原:1年経って、高村の人件費を払えるくらいになればいいなという感じですよ。だから7ヶ月で黒字というのは相当早いんです。地方では、まず会って、時間をかけてコミュニケーションを重ねて、相談に乗ったりして、ようやく信用してもらい発注して頂く。それくらい時間がかかるものだと思っているんです。私が地方に行ってお客様と話をすると「御社は撤退しないですよね」とか「逃げませんよね」とか言われるんです。つまり「どうせ発注したって収益低いから撤退するでしょ」みたいに思われるところから始まるわけです。だからそう簡単には発注して頂けない空気感もある。だから1年で人件費を払えるくらいになれば御の字だと思っています。

―――ということは、営業所を立ち上げてからの2ヶ月間受注がなかったのは当たり前だと。

荻原:当たり前のことですよ。だから高村が「すみません、すみません」って言うのを「いいんだよ」って言っていたんです。そしたら慰めているみたいになって、勘違いするわけですよ。そういうことじゃなくて、信頼頂いて発注してもらうことは本当に大変なんです。

高村:たしかに時間はかかると思います。

荻原: その覚悟がなければ、続けられないと思う。他の会社が地方を撤退するのも、気持ちは分かる、というか理解できますし。

―――荻原さんはどのくらいの頻度で福井に行かれるんですか?

荻原:できれば3ヶ月に1度は行きたいと思っています。

―――荻原さんがよく来てくれるのは嬉しいことですか?

高村:そうですね。寂しいのでお話したいのと、東京の情報を教えていただきたいと思っています。私のやっていることが、東京とレベルがずれていないか、遅れていないかという確認をさせてもらっていました。来ていただくと、話したいことがいっぱいあるんです。

荻原:高村のマシンガントークが待っていますから(笑)。そして飲みに行くと2軒目、3軒目とハシゴして夜中の2時、3時になります。でも私の方から高村に「もう上がろう」とは言っちゃいけない気がするんです、3ヶ月に1度くらいしか会わないわけですから。でも、高村は結婚しているので「もう帰った方がいいんじゃないか」とは言うんですけど、それを言うと「私の酒が飲めねえんですか」くらいに絡まれまして(笑)。結局、いつも旦那さんが車で迎えに来てくれるんですよ。旦那さんと3人で飲んだこともあります。

―――とても濃いお付き合いですね。そういうエピソードは少なからずありますよね。

荻原:そうですね。一度福井に行ったら台風の時があって、私はその日に東京に帰ろうとしたら、電車が全部止まっちゃったんです。福井県から出れないと。でも翌日はどうしても東京にいなければならない仕事があって、これは困ったぞと。そうしたら東海道新幹線だけ動いていることが分かって、1番近い東海道新幹線の駅は滋賀県なんです。福井から約100kmの道のり。その時は暴風雨の中、高村が車で送ってくれたんです。

高村:あれはすごく怖かったですね。

荻原:高速道路なのに、恐ろしいことに前が全然見えない。ココで死ぬんじゃないか、とさえ思いました(笑)。それほど怖かった。それでもどうにか無事に送り届けてくれたんです。懐かしい。でも、こういう体験談って、高村とだけではなく、他の地方のメンバー全員とそれぞれにあるんですよね。

旦那と犬と、東京転勤。

―――ちなみに高村さんは、その後、福井営業所から東京勤務になりましたが、それはどういう理由で?

高村:これがまた個人的な理由でして。旦那が東京に転勤になりまして(苦笑)。

荻原:最初、旦那さんが大阪に転勤するという話があったんです。その頃は福井営業所は二人になっていました。「じゃあ、高村、大阪に異動かな」って言っていたんです。そうしたら旦那さんの転勤が東京に変更になり、「じゃあ、東京で」と。それだけの理由です。それで旦那と愛犬一緒に。

―――ご主人の人事異動とリンクしているんですね。

荻原:はい。年齢を重ねれば、様々な事情があることも当然ですし、全然ウェルカム。柔軟に対応したいと思っています。高村みたいに、地方のことも知って、マネージャーをやって、という人が社内に増えたらいいなーとも思っていますし。むしろそういうモデルケースになって欲しいですよね。

高村:女性社員もどんどん地方に出て行って欲しいなと思いますね。ウチにいるからこそ出来る仕事というのを絶対経験すべきだと思うんです。東京は東京でいいんですが、せっかくソウルドアウトにいるんだから、地方の立ち上げをやった方がいいなって。

―――高村さんは、東京に戻ってこられていかがですか?

高村:1つだけ残念だと思うことがあるんです。福井にいた頃は3ヶ月に1度、荻原さんが来てくれたのでゆっくりお話できたんですが、東京だとそういうことは全くなくなったので、そこは寂しいです。地方から東京に戻って来たメンバーは、みんなそう言っています。

荻原:地方は事前に時間を作っていくから、高村とも48時間喋ることができるんですけど(笑)、私、東京では社外の方との会食が入ることも多いですし、社内の皆と飲んでも東京は人数が多いからね。そう考えると、地方の時のほうが、長い時間話をしているかもしれないですね。

―――なるほど。地方にいる方が、荻原さんとたくさん話が出来るんですね。今後のお話ですが、高村さんのように個人的な理由がきっかけで営業所を立ち上げるということはこれからもあり得ますか?

荻原:もちろんです。むしろ受け皿になってあげたいくらいです。例えばうちのメンバーが地方の実家に帰らなければいけない何らかの事情が出来たとして、地元に帰るけどウチで引き続き仕事したい、ということであれば「いいんじゃない」と言ってあげたい。地方のどこに行ってもWebマーケティングについて困っている人、挑戦したい人が絶対にいるわけだし。ウチの持っているスキルとのマッチングはどのエリアでも出来ます。戦略的に営業所を拡大していくという側面だけではなく、そうやって自然に拡大していってもいいんじゃないかな、と思っているくらいなんです。

―――人の想いで営業所が増えていく。素敵ですね。本日はいいお話を聞くことができました。ありがとうございました。

荻原高村:ありがとうございました。

パンくず