―――本日はよろしくお願いします。まずは、お二人はいつ頃から仕事をご一緒にしていたのでしょうか?
荻原:オプトにいた頃です。高村の入社が2006年。僕はその頃、広告部門の執行役員兼営業本部長をしていました。当時、高村は営業職ではなかったですね。
高村:はい。ガラケー時代のあの頃、私はモバイル部というところにいました。営業と一緒にクライアントのところに行って仕入れと販売の両方をやっていました。
荻原:当時、高村は営業と絡むことが結構頻繁にありました。そんなある時、一緒にクライアントのところに行き、その帰り道に、セルリアンタワー近くの渋谷の歩道橋の上で、突然、高村からクレームを入れられまして。「私、営業に行きたいんですけど!」って。
高村:それはクレームじゃなく、希望をお伝えしたんです(笑)。営業をやりたくてオプトに転職してきたんですが、営業に配属されなかったので。
―――前職では何やっていたんですか?
高村:使えないSEです。バグばかり見つけていました。
―――なぜ歩道橋の上だったんですか?
高村:その頃の荻原さんは営業本部長、つまり営業のトップでした。会うこともほとんどなくて、同行させてもらう機会なんて滅多にないことなので、その時は数少ないチャンスだったんです。それで図々しくも直訴したという感じでしょうか。
荻原:この話は10年くらい前の話ですけど、今でもすごく覚えています。直談判は年に1人か2人程はいましたが、クライアント訪問後の帰り道、言ってみればホッとした時間に突然差し込んできたので、鮮明に覚えているのかもしれません。たくさん人が歩いている、歩道橋のココで、みたいな(笑)
―――そういう異動願いは、出来るだけ叶えてあげようと?
荻原:はい。能力や素養、タイミングという様々な要因はありますが、「意思ある人に」というのを1番大切に考えていますから。
―――そうすると直談判という事実はとても大きいですね。
荻原:はい、大きなことです。自分で考え抜いた末に、伝えてくるわけですから、覚悟もある訳ですし、デメリットの方が少ないですよね。そしてその後、2007年に組織変更があって、私がカンパニープレジデントになったんです。その中の一つの部署(ルーム)に高村を配置しました。初めは優しいイケメン上司のところに入れたんです。その上司はスイーツも好きだし、女性とも話が合うだろうと思って。でもよくその上司にぶつかっていましたね(笑)。その頃、高村は自分がトップ営業の座を取りたいとか、大きな案件を動かして目立ちたいとか、そういう自分が主語の野心で仕事をやっていたんだと思うんですよ。なので次の組織変更の際は、厳しい上司の下に付けたんです。
高村:なかなか厳しい上司と巡り会いました。今でもお付き合いさせていただいていますが、厳しかったです。
荻原:なつかしい。高村にはすごく厳しいんです(笑)
高村:他の人には同行するんですけど、私の案件には同行してくれないんです。他の人とはランチに行くけど、私とはランチに行かないんです。みんなの相談は聞くのに私の相談は聞かないとか、みんなのメールは読むのに私のメールは…
荻原:被害妄想ですね、それは(笑)。当時、あの部署は会社で最大の数字を上げていたマンモス部署だったんです。所属人数もクライアント規模もデカいから、というのもあったと思いますね。それに高村はタフで凹まないから、上司はそういうコミュニケーションをとって、高村が自分で気付けるようにっていうマネジメントの工夫をしていましたよね。それでも部内で高村が中心にグイグイ入ってきて、存在感が出てきていましたよね。高村も百人以上いる営業の中で常に10位前後まで上がってきていました。