事業部門のトップからCFOへーーー大胆な配置転換の裏側とは?

ヒストリー
2018.01.24
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【社長と対談シリーズ】第8回は、ソウルドアウト株式会社の取締役CFOを務める池村公男。オプトで、営業部長、M&Aなどを経験し、ソウルドアウトの立ち上げから参加した池村に、代表・荻原が頼んだのはCFOヘの転身でした。自社の事業部門トップをCFOにする、という大胆の決断の背景には何があったのか?2人の対談形式で伺います。

 

荻原 猛(おぎわら たけし)
代表取締役社長
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荻原 猛(おぎわら たけし)
1973年生まれ。中央大学大学院戦略経営研究科修了。経営修士(マーケティング専攻)大学卒業後、起業。2000年6月に株式会社オプトに入社。2006年4月に広告部門の執行役員に就任。2009年に当社を設立し、代表取締役社長に就任。著書に『ネットビジネス・ケースブック』(2017年 同文舘出版 田中洋共著)がある。
池村 公男(いけむら たかお)
取締役CFO
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池村 公男(いけむら たかお)
1978年生まれ。2005年に株式会社オプトに入社。営業部長、BI(ビジネスインキュベーション)室部長を経て、創業メンバーとして当社に参画。事業統括として広告代理事業の基盤構築に貢献した後、2013年に執行役員CFOへ就任し管理部門を構築。2016年より取締役CFOとして引き続き管理部門を管掌。

ゼロイチで熱狂的なチームをつくる営業部長

―――まず、はじめに池村さんのご経歴を教えてください。

池村:2005年にオプト入社した後、営業部長を経験した後で社内公募からM&Aチームへ異動しました。その次に、ソウルドアウト株式会社の設立に参加しました。ソウルドアウトでは創業から3年間は事業を担当していましたが、2013年からはCFOとして管理機能を管掌しています。

荻原:オプトの営業部長時代って、懐かしいね。

池村:後から聞いた話ですが、オプトで営業部長からM&Aチームへの異動を希望した時、周囲の反対を押し切って異動を後押しして承認してくれたのが、荻さんだったんですよね。

荻原:そう。あの頃は、リーマンショックの直後でツラい時だったし、池のチームは予算をちゃんと達成してたからね。どうして営業で成果を上げている奴を、異動させるんだ、っていう意見は強かったよね。

―――荻原さんから見て、池村さんはどういう営業スタイルの方だったんですか?

荻原:異常に熱のあるというか…。当時の池の営業部は5人くらいの規模で開始したんだけど、雰囲気がとにかく熱狂的だったんだよ。

池村:お陰様で1年後には人数も倍に超えたし、規模も大きくなりましたよね(笑)

荻原:普通の営業部とは違う、スタートアップみたいな熱量だったよね。新設部署だったから、自分で動いてマーケットを確認しなきゃいけない。その自覚に、気持ち悪いくらいの熱がある。

池村:気持ち悪いというと、語弊が…。それをリーダーシップと言うんですよ(笑)

荻原:ストイックな感じだったね。お客さんに怒られて泣いてる子とかが毎日のようにいて。

池村:いやいや、お客さんに怒られたくらいじゃ泣かないですよ。泣くのは、お客さんに怒られた後、「大丈夫。なんとでもなるからさ」って声をかけた時。周りから見ると、私が泣かせているように見えたでしょうね(笑)

荻原:0→1の熱みたいなのがあってですね。そういう熱がないと立ち上がらないとは思う。

異動した先のM&Aチームで学んだ「生き方」

――そんな池村さんの異動を、荻原さんが後押ししたのはなぜなんですか?

荻原:池にはオプトに入ってから、人材、不動産、そして新設の家電・通信の部署と短期間で何度も異動をしてもらっていたんです。でも、何1つ文句を言わなかった。その池が、初めて「自分でやりたい」って手を挙げたのがBI室※への異動だった。

だったら希望を叶えてやりたい、と思ったんですね。それに当時、私はキャリアの考え方として、営業として力がついた人材はどんどん他部署に異動させて、様々な部署で要職についてほしい、って考えていました。それにオプトが出資した会社をバリューアップさせていくためには、M&Aのチームと事業部とのつなぎこみをもっと強化したほうがいいんじゃないかという議論が当時社内でもあったんです。

※BI室(ビジネスインキュベーション室)

―――そのタイミングで、池村さんから希望があったんですね。

荻原:そうです。そうやって育った営業が、いろいろな部署で経験を生かしてくれれば、情報は流通するし成果も出やすい。人材を他部署へガンガン異動させて、価値生んで会社を大きくしていく事が尊いわけで、だから自部署で人材を抱えるってカッコ悪いな、って思ってました。それにかつての部下が他部署へ異動すると、結局自分の仕事もしやすくなる(笑)

池村:荻さんがそういう姿勢で周囲の反対を押し切ってくれた、と周りから聞いていたので、「何かあったら、荻さんに対して恩返ししないといけない」とは思っていました。オプト営業部長時代はラインの上司(荻原はオプトの営業担当執行役員)であるものの、会議以外ではそんなに話すこともなかったですし、この時までは距離感がありました。

―――そこから、関係が深まっていくんですね。それで、M&Aチームではどういうお仕事を?

池村:デューデリジェンスとか、バリュエーションとか、業務提携の提案とか、業務提携打診の検討とか。多岐にわたっていました。

荻原:そこでは、どういう学びがあったの?

池村:まずは、必要に迫られた座学。営業ばかりやっていて、ある日からファイナンスなので、寝る時間削ってでも知識つけないと給料泥棒になってしまう。まして希望しているわけですし。ただ、本当に学んだのは、知識ではなくてもっと根本的な「生き方」でした。

――生き方、というと?

池村鉢嶺社長(現オプトホールディング代表)と相手先社長の会食に同席すると、「御社のビジネスは、本当に素晴らしい社会貢献ですね」というような話で盛り上がるんです。つまり、「社会課題を解決すること」が事業の存在意義であり、社会的な存在意義が事業成長の根幹になる、そういう気づきです。

荻原:なるほどね。オプトもソウルドアウトも掲げている「先義後利」という社是もそういう話だよね。

池村:この経験があったからこそ、荻さんが中小企業向けの支援会社を立ち上げると言われた時、「あぁ、存在意義があるな。ロマンがあるな」って直感的に感じることができたんだと思います。

立ち上げの試行錯誤の中で。

―――そこから、ソウルドアウトの立ち上げにジョインするんですね。

池村:そうです。M&Aチームに移って半年くらい経った頃、荻さんが「新しく会社をつくる」という話をしていました。そこで、「オプトの営業部長で一線を張っていた経験と、M&Aチームへの異動で学んだことを新会社に活かしてほしい」と、声をかけてもらって、そんなことを恩人に言われたら…断れないですよね。

―――ソウルドアウトに入ってからは、どういう仕事をされていたんですか?

池村:いやー、しゃべりだしたら半日かかるよ(笑)毎日が試行錯誤、工夫だらけ。

荻原:そうだね(笑)

池村:一言でまとめれば、2010年はオペレーションの仕組みの土台づくり、その後は2011年からは営業のトップも兼務でやっていたので、実質的には全部見ていましたね(笑)。

荻原:ソウルドアウト設立時に、部長は3人しかいなかったんです。池は、その一人で広告運用、仕入れ、社内制度を担当。あとは細井(現株式会社グロウスギア代表取締役社長)が東日本エリアの営業部長、伊藤雄剛が西日本エリアの営業をしていました。

池村:この3人で全ての社員、顧客、仕入先に向き合う、という状況でした。2011年から営業も含めて全体を仕切るようになってからは、コンセプトを打ち立てて、3か月ごとにテーマ決めて、3か月ごとに改革してましたね、常に改革。日進月歩こそが素晴らしいと。

荻原:懐かしいねー。挑戦すると前進するから、失敗しても何の問題もない。挑戦し続けていれば、社員は視野が広がり成長していった。だから、ずっと右肩上がりの増収増益だったし、後進もドンドン育って7~8人を新任部長として抜擢できたよね。

池村:反面、今で言う「多様性」なんてものはできていなかったですね(笑)

荻原:なかったね(笑)今は、スケールすることを前提にしているから、「多様性」は超重要。あとは、どんなことをやってたっけ?

池村ヤフー株式会社との業務提携の第一歩として、直接仕入契約(ヤフー代理店)を模索したり、アフィリエイト超強化プロジェクトなんていうこともしましたね。あとは、顧客データベース作ったり、営業結果ではなく訪問社数で評価する制度を作ったり、SEM部門を立ち上げたり、言い出したらキリがないですね。

荻原:組織が成長している、という実感はあったよね。

池村:今「持たない経営」と呼んでいる会社の方針、内製主義を外部ネットワーク化へ変えていく挑戦をはじめたのもこの時期です。例えば、リスティング広告運用のオペレーションをうまく切り出して外注する…なんていう取り組みも、この時期でしたね。

荻原:あと広告費が低予算の企業に対する支援の仕組みも、池の時に進んだよね。

池村:そうですね、今はSMB(Small Middle Business)と呼んでいますが、当時はOLAG(OnLine Agent Group)と呼んでいました。訪問はせずに電話会議でアポイントを設定して、動画メルマガ、市場動向通信…などいろんなことをやりましたね。

荻原:少人数でやってたからね。

池村: OLAGの初代担当は1人で100社くらい担当していました。だから、月末は大変。100社分の請求書は1日じゃ終わらない(笑)、気を付けないと送り先間違えちゃうし。でも、彼女の顧客満足度はとても高かった。本人は相当大変だったはずですが、本当によく頑張って力を貸してくれました。

事業部門のトップから、CFOという正反対の役割へ

―――その後、CFOに就任されるんですね。営業のトップから、管理部門のトップに行くというのは怖くなかったんですか。

池村:最初は、確か2012年の夏頃に荻さんに言われたんですよね。

荻原:そうそう。神保町の喫茶店で、コーヒーを飲みながらね。

池村:「財務経理出身者ではなく、事業トップ経験者がCFOを務めるという潮流がやってくる」という話をしてくれました。

荻原:そう。そのために設立から今まで管理部門のトップをやっていた山家を事業部門のトップにおき、事業部門のトップだった池を管理部門のトップにおく。こんな意思決定は、業績が絶好調だったその時しかできなかったんです。将来、この会社をもっと良い会社にしたいから、大変だと思うけどめちゃくちゃ勉強して、CFOへ転身してほしい、そんな風に伝えました。

池村:そうでしたね。

荻原:事業トップ経験者にしか、わからないことがあるんだよね。池はオプトの時にも挙手してM&A異動したりとか、そういうの好きそうだし、何にせよ池はゼロイチが大好きなヤツだから、はまると思ったんだよね。

池村:まー、それなりに大変でしたけどね(笑)

荻原:例えば何が大変だったの?

池村:あんまり気にはしてなかったですけど、一番大変だったのは「言っても営業部長でしょ」というような周囲の目。今でも、昔を知っている人からはそう映るんじゃないかなー?一方で、今のソウルドアウトの社員からすると、管理部門、おカネの人で、「え?池村さんは営業できるんですか?」なんでしょうけどね(笑)

荻原:でも、今はちゃんとCFOやってるじゃん(笑)

池村:そりゃ、ソウルドアウトに社会的存在価値を感じ、荻さんを担ぐと決め、その理念に共感した社員が毎年毎年新たに入社してくれて、その社員には家族がいて。沈没させないためにも、やるっきゃないですからね(笑)、社員、そして社外の先輩や知人、色んな人に知恵を借りながらここまでは来れましたね。まだまだ航海の道のりはずーっと長いですけど。

荻原:うんうん。

池村:そうそう、あと事業トップやっている時の最後の仕事が後任選定でした。荻さんは「任命」に対してのこだわりが強いので、荻さんのお眼鏡にかなう後任を育て、推薦するって、結構大変だった記憶がありますね。

荻原:そうね、俺はメチャメチャこだわるからね。皆が面倒だな、って思ってるのも分かってる(笑)でも、やっぱり配置や抜擢には強いこだわりがあるよね。。

池村:それで、中西(当社執行役員)と山田(2015年に起業)の2名を後任として決め、その2人の新体制戦略決めるための会議を何度も何度もしましたね。喧嘩になったり(笑)

―――当時、管理部門はどういう状態だったんですか?

荻原:俺も全然覚えてないな。

池村:ふた開けたらカオスでしたね。それまでのメンバーも頑張ってやってくれていたんですけど、いかんせん資源不足。対処療法の積み重ねが多かったので、「部分最適は全体不最適のはじまり」といったメッセージをよく出してました。あとは、「事業メンバーの気持ちになって」「1年目社員でもわかるようにシンプルに」とかかな?最初に注力したのが、給与ミス撲滅。給与ミスは頑張っている社員のやる気、信頼をそぎますからね。

荻原:事業部もカオスだったけど、管理部門も当たり前のようにカオスだった。

池村:そうです。「ベンチャーはいつもどこかが工事中」。まさにそういう状態でした。

―――そんな状態から、CFOとしてどういうことに取り組まれたのでしょうか?

池村:給与ミス撲滅と並行してカネ周り、金融機関からの資金調達余力を上げて、売掛金と買掛金バランスの整理をしていました。その次が人事制度の刷新、株式会社電通デジタル・ネットワークスのJV出資(電通グループとの業務提携)、ヤフー株式会社との資本・業務提携。対外的には「守り」役なので、契約とか交渉を役割としては持っていました。電通デジタル・ネットワークスは一時社外取締役としても参画して、とことんオペレーション体制の設計、見直しとかをハンズオンしている時期もありました。魔法なんてものはないので、決めごとを口うるさく言い続ける、実態を正確に把握する・・の繰り返しでしたね。

荻原:そして、2015年からの約2年はIPO準備。

池村: IPO準備については、それこそ本当に尺足りないから、別の機会にでも(笑)

荻原:確かにそうだね(笑)

パンくず